海はねてまて(果報は寝て待て、海も寝て待て)

ご訪問ありがとうございます。このブログは、2006年から2016年まで、プーケットでダイブクルーズ専門ガイドの会社として活動していた「seaforest」の海ブログです。タイ各地、ミャンマー、アンダマン諸島、ラジャンパットなどのダイブクルーズの写真やビデオ、海の雑学などを掲載しております。(ブログを移転した為、本当の掲載日はタイトルの日付が正しいです)

エッセイ(ガイドのお話)

[ 目次 ]

  • 海と陸のガイド
  • 水中特有のもの
  • 魚の知識について
  • 水商売
  • 海と利益と欲望とダイビング
  • THE ART OF DIVING
  • バディシステム
  • グループでのダイビング
  • ゴマモンガラとの戦い
  • 潮と光と透明度
  • 野生の感(勘)?
  • カメラとダイビング
  • 無国籍ダイビング
  • 自分も楽しむ事の意味
  • これからの楽しみ方
  • ダイビングの役割
  • ダイバーとして海を考える
  • 海から見た人間を考えてみる
  • 地球から見た海を考えてみる
  • 結局海とはなんだろう?

 

海と陸のガイド

 

陸上のガイドさんといえばバスガイドさんがまず思いつきます。その他ツアーガイドさん、山のガイドさん、美術館のガイドさんなどなど。 正直言って海も山も平地もないんですが、皆さんある程度同じ目的で動いていると思われます。ガイドたる者連れて行く人がいないとガイド業は成立しません。さあ、この連れて行く人が問題になるわけですが、先ほどあげたいろいろなガイドさんの連れて行く人達は、果たしてどんな人達なんでしょう?

 

例えばバスガイドさんはどうでしょう?この場合ガイドされる方は乗客の皆様ですが、皆さんバスに乗って移動されます。ガイドさんは、バスから見える景色やバスでの注意事項、バスでの楽しみ方などなどをお客様たちに提供するのだと思います。 もちろんバスの中からだけではなく、現地のガイドもすることでしょう。山のガイドさんなどは、安全に山を登るために、皆さんの体力などに気を配りルートを選んだり、休憩時間のタイミングをはかったり、山の楽しみ方、山の厳しさなどをふまえて皆様を山の世界にご案内するものだと思っております。

 

さて、これらは陸上での活動になりますが、ダイビングのガイドと言うものは陸上ではなく、水中で行うことになります。水中でのガイドも基本的には陸上のガイドさん達と同じだと思うのですが、決定的な違いがあります。 まず、ガイドもお客様もダイビングが出来ないといけません。難しい事ではないのですが、水中では空気がないので、それなりの練習やトレーニングを受けた人達が水中の世界を楽しむことが出来る様になります。 この、まず息を吸うと言う事だけで、経験者と初心者では多少なりとも差が出てしまうものなんです。でもどちらの方でも海は楽しめます。

 

では、なぜこんな話をしたかというと、この呼吸と言う事に関してダイビングでは重要な事柄が一つ出てくるのです。 浮力コントロールと言われているダイビングのテクニックの一つなのですが、この呼吸の仕方によってだいぶ、ダイブが変わってくるのです。 私たちは普段呼吸をすることについて意識していませんが、水中ではそうはいかないのです。この呼吸というのを、ダイビングのガイドと言うのはよく観察しておかないとだめなのです。

 

これを良く見ておかないといいガイドには成れない様な気がします。よく皆さんが使っている言葉に、「息が合う」と言うものがありますが、まさしくダイバーは海とそして水中と息が合わなくてはいけません。実はお客様の息のコントロールもガイドがかなりの割合で握っている様です。

 


水中特有のもの

 

潜っている最中、自分の体の周りは全部水です。そう、僕らが生まれる前の、お母さんのお腹の中にいる感じに近いのでしょう。海(お腹)の状態にもよりますが基本的には落ち着くはずです。海が荒れていれば、私達もダイビングどころではなくなってしまいます。母なる海とはよく言ったものです、きっとお母さんの気性が荒いときには、お腹の海も荒れているのでしょう。赤ちゃんもきっと落ち着けていないはずです。ですので、常に赤ちゃんにも穏やかな海を感じさせてあげる為に、母なる海は偉大であって下さい。

 

ちょっと話しそれちゃいましたが、海の中だと、音の感じ方も違ってきます。一番良く聞こえるのはなんと言っても自分の呼吸の音。コーホーコーホーと、まるでスターウォーズに出てくるダースベーダーの様な感じです。しかし、そのうち耳が慣れてくると、周囲の音の多彩さにも気付くはずです。いくつの音が水中で聞こえているかなどじっくり耳を澄ませて聞いてみて下さい。たまに本当に頭を悩ませるような音が聞こえてきます。

 

そして体が宙に浮いているような錯覚もあります。水中ではご存知の通り360度どこにでも行けます。場所によっては空を飛んでいるような感覚にもなれます。非常に気持ちが良いです。周りがすべてコバルトブルーに囲まれた時など、宇宙空間に放り出されたのではないかと思うぐらい、自分ってちっちゃいなーと思えます。そんな異次元的な空間に感動しちゃったりもします。

 

そうそう、色彩の変化もあげておかなくてはいけません。ダイビングほど色というものを考えさせられるものはないのではないでしょうか。色彩の多彩さもさることながら、色彩というもの自体の認識そのものを疑う場合があります。深度によって変わる色達。光がないと色は認識出来ないのに、ほとんど暗闇に近い場所で生活している生物達についている鮮やかな色の意味。考えれば考えるほど、考えない方が自分の為には良いのじゃないかと思ってしまうほど難解です。

 

と、当たり前の事書くんじゃねーとお思いの方も居ると思いますが、ガイドというのはこういう当たり前のことを、いかに海を使って、自分を使って、お客様に当たり前のことでも、受け取り方によってはとても意味のあることだと、感じて頂くのも仕事の一つだと思います。あたり前も侮れないと言う事です。あたり前バンザーイ!



魚の知識について

 

世界には何箇所ぐらいのダイビングポイントがあるのだろうか?何て考えた事がある人も少なくないと思います。日本だけでも、数えられないくらいありますよね。そしてその場所それぞれで、出会う生き物達も違うはずです。世界の魚だけでも、2万~2万5千種類分類されていると言います。これにサンゴやヒトデの仲間、エビやカニなどの甲殻類なども入れてしまうと、はっきり言ってもうよく分りません(ウニやナマコなどの棘皮類も)。人類よりも多い事は確実に言えます。人間が死んだら星になるんじゃなくて、もしかしたら海の生物になるんじゃないかとも考えたことも有ります。

 

話がまたまたそれてしまいましたが、ダイビングの楽しみの1つに、水中生物の観察があります。ダイビングする上でいろいろな魚を知っておくと、楽しさも広がる上、便利な事もあります。例えば、人間の世界でもなかなか出会わない人とかいますが、役者や音楽関係の人など、道を歩いていて偶然出会ったら、結構喜びませんか?僕はいつもかなり喜んでいます。別にサインを貰いに行くわけではないですが。海の世界にも同じような事があります。普段現れてくれないような生き物達に出会う事はかなりアドレナリンを大放出させてくれます。大きな生き物で、ジンベイザメやマンタなどは有名ですね。一概に言えませんが、ダイバーさん各個人でこの様な事があるのではないかと思います。

 

また、少し魚の知識があると、海関係のテレビやビデオなどを見ていて、住んでいる海の生き物達によって、大体どこの方面の海かが判ることがあります。生き物には生息する分布があるので、こういう見方も出来ます。また名前の由来なども非常に面白いです。日本では黒点が4つ見えることから、シテンヤッコという魚がいるのですが、外人さんの場合、英語ではスリースポッテッド(3点)エンジェルフィッシュと言いう、どっちやねん!と言う魚もいます。弱い魚と言う事で、魚へんに弱いで、鰯(イワシ)。魚へんに堅いでカタウオ=カツオ=カツオブシなど非常に感心することが多いです。

 

という様に少し知識があるだけで、いろいろな方向から、海を楽しむことも出来ます。ただし、これらはあくまでも個人の問題であって、強制的に教えるものでもなければ、知らないと恥ずかしいと言うものでもありません。ダイビング自体は楽しんだもん勝ちです。もちろんルールを守ってですが。僕が仕事をしている時に良くあったのが、「スイマセン。全然魚の名前知らないんです!」とお客様に言われた事がありましたが、魚の名前なんて知らなくてもダイビングは楽しく出来ます。(もし触れたら困ってしまう生き物などは知っておいたほうが良いと思いますが)

 

問題があるのは、この様な状況を作ってしまっているダイビングスタイルではないでしょうか? ダイビングガイドならそこそこ知っていなければいけませんが、専門家レベルで知る必要もないと思います。知っていればかなり有効だと思いますが、それが最重要事項ではありません。ダイビングガイドにはもっと大切な仕事があるからです!

 

 

水商売


ダイビングのガイドを僕はよくこう例える事があります。「ダイビングは水商売です!同じ水でもこっちは海の方のですけど!」。本当の水商売の人には怒られるかも知れませんが、お客様商売である事と、水を使って商売している事は共通です。そして重要なのは、それらを、提供している人の人間性ではないでしょうか?もちろんその場の雰囲気も重要ですが。ダイビングと言うのは同じ人が海を潜っても、一緒に潜る人によって大きく受け取り方が違ってきます。

 

お酒も一緒に飲む人で変わりますよね?バーテンさんによっても違いますよね?お酒も大事ですし海ももちろん大事なのですが、共通して言える事は、人間自体がかなり重要になるということです。ある物事を伝える人と伝えられる人がいますが、バーテンさんはお酒がなければ商売できません、ダイビングも海などがなければ潜れません。しかし、扱うものが違っていても目指しているものは共通なところではないかと思ってます。

 

お酒の種類などを知って頂く、水中生物の種類を知って頂くなどは、もちろん楽しいことだとは思いますが、これらは絶対的なものではありません。お酒を通して、そして海を通して、目には見えない大切なものを大事にすると言うことこそ、絶対的に重要なことだと思います。目には見えない大切なものと言う表現ですが、文字にするのもちょっと難しいようなことです。自分と他のものとの間に発生するもので、例えば、「愛」、「徳」、「義」などに近いようなことです。水商売のサービスと、ダイビングの世界で感じるサービスの共通点はこのようなところではないかと思っております。

 

しかし、ある物事を伝える時、その伝える人間によってある物事はいろいろな伝わり方をしてしまいます。お酒であれば、お酒についていい知識とセンスを持っていれば、相手に対してその時最高のお酒を進めることが出来ます。ダイビングでも海への接し方で、その海の見え方は変わってしまいます。相手の受け取るその海は、海のいい知識とセンスを持つガイドによって、その時最高の海もしくはダイビングを提供できることでしょう。

 

美味い酒はまずいとは言えない。まずい酒を美味いとはもっと言えない。透明度の悪い海を良いとは言えないし、魚のいない海をいるとも言えない。ところが、これらは人によって受け取り方がまったく違ってしまいます。美味い酒、楽しい酒、考える酒、勉強の酒、透明度の良いダイビング、魚の濃いダイビング、大物の見れるダイビング、珍しいものが見れるダイビングなどなど。。。

 

以上はどれも経験によって受け取り方がだいぶ変わってくるような感じがしますが、肝心なのは、自分自身と相手にとって良い酒や、良いダイビングと言うものをしよう!と言うことです。綺麗、汚い、大きい、小さい、珍しい、美味しい、まずい、楽しいなど。この様な形容詞を扱うのも、水商売やダイビングのガイドに共通している点だと思います。



海と利益と欲望とダイビング


ダイビングはもともと特殊なものであったのが、今では、誰にでも楽しめるようにいろいろな工夫が施されています。レギュレーター、BCD,マスク、フィン、ウエットスーツ、スノーケル。これらは毎年いろいろなデザインや、いろいろなアイデアを取り込み随時進歩しながら販売されています。正直言って、各々の目的を達成していれば何でも良い様な気がするのですが、やはり経験をつんでいくと人によっては良い悪いが出てくる様です。経験をつまなくても、色やデザイン、有名ブランドなどを気にする人もいる事でしょう。ダイビングする上で、器材は非常に重要な存在であるので、みなさん真剣に選んでいる事だと思います。そして、ダイビングする上でもう1つ重要な事が、ダイビングサービスにあると思います。自分達だけで潜っている人には関係ないかもしれませんが、たいていの人は、ダイビングサービスを使っていることだと思います。

 

例えば、ある電気製品を買うとします。選択は2つ。①安売りの大型店で買う。②家の近くの小さな電気店で買う。別にどちらでもいいのですが、もし、この2つに違いがあるとすれば、私達は自然にどちらかを何らかの理由で選択する事になるでしょう。①は安いことに文句はなし、でもたいていアフターケアはいい加減な事が多くなりがちです。大量のお客様を御相手しなくてはいけないので、どうしても毎回親身になる事は至難の業だと思います。②は多分料金的にはさほど安くはならないと思いますが、お客様の人数が少なければ、それだけ相手に親身になれるチャンスはあると思われます。ただしこれは絶対ではありません。と、このように違いがでてきたとしたら、私達はどちらを選ぶのでしょう。一番良いのは、安くて自分にあったお店だと思います。そんな事は当たり前のことなのですが、こればかりは実際に使ってみないと分りません。

 

いろいろなダイビング雑誌で各地のダイビングショップの広告を見ますが、広告だけでお店を判断するのも難しいものです。器材にしても、サービスにしてもお客様がいなければ何事も始まりませんが、自分がお客さんになった場合の事をもっと考える必要があるのではないでしょうか?例えばこんな例もあります、運転免許取りたてで、新車に乗っている人がいます。別に本人が良ければ何も問題はありませんし、新品は気持ちの良いものです。しかし、初心者の場合車をぶつける可能性もありますし、実際に車を購入するまでに色々な車を乗ってみるのも勉強になります。よって中古車の方が良い場合もあります。

 

ダイビングでも、C-カード取立てで、新車に乗ってくる方がいます。新車ではなくて新品の器材。同じく本人が良ければ別に問題はないのですが、過去にこんな例がありました。お店から器材を購入しないと、オープンウォーターの講習が受けられなかったという人が結構いました。器材は使えればダイビング自体は出来るはずです。そのお店にレンタル器材がなければしょうがないのですが、いきなり器材を購入しなくてはダイビング出来ないのでは、いったい費用はいくらかかるのでしょう?この場合は決して入り易いスポーツではない様な気がします。確かにお店は器材の販売などにも力を入れなくてはいけない事だと思います。ダイビング自体の利益は簡単に計算できる物ではないので難しいですが、ダイビングを行っているサービスであるのなら、実際に力を入れなくてはいけないのは、実際のダイビングについてではないでしょうか?

 

実際海に出てももちろん利益問題が絡んできます。どこの海でも私達は潜る事が出来ます。ただしかなりリスクの高い場所も多々あるでしょう。リスクが高いのが面白いという人も多いかもしれませんが、この様な人は今回は別です。仕事で潜る以上、お客様にリスクの高い海で潜ってもらうわけにはいきません。このリスクというのは、あくまでもその時のお客様に対して、発生しそうなリスクの事です。ダイブポイントを海に合わせるか、お客様に合わせるか?海に合わせて人間も変化できればいいのですが、そう上手くはいかないみたいです。ただし、荒れている海でもダイビングは出来ます。潜らない事です。これってダイビングじゃないというかもしれませんが、海、または人間のコンディションの悪い時にはダイビングしないといのも、ダイビングするうえでは非常に大切な事です。そして結構勇気のいる事です。これは、状況判断と実践をするというダイビングのスキルですね。

 

ただ、この辺が非常に微妙になりやすいところなのです。見て完全に荒れている海だったら誰も海に入らないでしょう。しかし表面的には大丈夫な様に見えたり、お客様のレベルに合ってないんじゃないかな?という場合が困りものです。お客様の中には、せっかく来たのだから潜りたい!お店側だと、せっかくのお客様だから利益を出さないと!などが判断を鈍らせる事の原因です。とにかくダイビングは事故に繋がらない様に、そして、基本的には楽しむものです。(海猿のように辛いのもありますが)

 

このように、海と利益と欲望とダイビングはかなり密接に絡まっているのです。ダイビングショップは利益がなければ運営できない。ただしいつまでも特殊なスポーツのままだと、次第になじめなくなってくるのではないでしょうか?今後は、もっといろいろな人に身近に海を知って頂く為、そして、いろいろな形でダイビングを楽しんで頂けるよう、新しいダイビングスタイル及び、自然環境の為にも、新しいライフスタイルを考える必要がありそうです。

 


THE ART OF DIVING


海は音楽と同じでありアート作品だと思う、そこにある海をどう見せるかはガイド次第。よってガイドは、ある意味アーティストになるべきではないかと思います。音楽家は楽器を使って音を作ります、音符を使って紙面に表現したりもします。芸術家はいろいろなマテリアルを使って、自己表現をしていますね。絵の具を使ってペインティングしたり、木を使って木彫したり、カメラを使って写真にしたり、小説家などは活字を使って表現しています。

 

ダイビングは海を使ってその海を表現し、なおかつ人間と海との関わり方も提案します。という様に、それぞれ扱うものは違っていても何かを表現するという意味においては同じです。ただしダイビングの場合は、マテリアルはすでにそこに存在しています。すでに存在しているものがなぜアートなのか?とお思いだと思いますが、すべてのものはすでに存在しています。楽器にしても、絵の具にしても、木にしてもカメラにしても、活字にしても、私達は手に入れる事が出来ます。海も普通に潜れますよね?ですので、それを扱う人が、新しい使い道だったり、意味などを発見する事なのだと思います。

 

海も一緒に潜るガイドさんのその海の見せ方で、まるっきり違う作品になると思います。ガイドというものは、クラブでいえばDJみたいなものであり、作品を作るのもアーティストであれば、それをコーディネートする人もアーティストだと思います。キュレーター(学芸員)の方などもそれにあたります。例えば、同じ隠れ根に入ったとしましょう。1のグループは左回り、2のグループは右回り、同じ時間に同じ場所にいないので、この2つのグループは絶対に違うダイビングをしています。もし同じ周り方でも、深度によって、見る景色が変わってきます。スピードの違いによってもかなり変わるでしょう。ゼーゼーハーハーでは楽しめないですよね。特にダイビングクルーズなどの場合は、同じ日に4本近く潜るので、ポイントのアレンジの仕方で、その日のダイビングの印象がまったく変わります。

 

そして、人間自身のコンディションでも海の受け取り方は違ってきます。だからといってこちらから一方的に、海を見せるだけではありません。一緒にダイビングすることによって、お客様自身にも考えてもらったり、楽しんでもらい、新しい発見や提案などもして頂けるようなガイディングもどんどん取り入れるべきです。ですので、この後お話しますが、バディシステムでのダイビングというものの必要性を、もっと確立するべきだと思います。



バディシステム


皆さんご存知のこのシステム。ダイビング講習の際に教わったと思いますが、海の中では意外に守られていない方が多いのではないでしょうか?ここで改めて考え直してみましょう! そもそもダイビングは、はっきり言って一人でも潜れます。一人で潜る方が自分のペースで、自分の行きたいところ、自分の感覚で遊べます。では、なぜこのバディシステムが必要かと言うと、これまた講習でもやったと思いますが、また言い直します。安全面です!(これだけでは無いですが)。空気が無くなる~、よそ見していて何かに接触する~、深度などすっかり忘れてる~場合などなど。自分で色々コントロールしようとすると、ついうっかり忘れてしまう事が多くなります。こんな時にバディさんが近くにいると、きっとあなたの助けになるはずです!(タマにならない時も有ります)。

 

ダイビングと言うものは僕が考えるに、まず先の予想を立てること、無理をしない事、何かあった場合の対処法を心得ておく事。この3つが出来れば、何らかの事件や事故は、極力抑えることが出来るのではないかと思います。しかし自分の考え方だけよりも、第三者の意見を参考にすることも非常に有力です。うぬぼれるべからず、と言う事ですね。こんな場合にもバディと言うのは心強い味方です。(タマにあてにならない時も有ります)と言うように一人で潜るよりは2人もしくは3人などで潜る方が、安全面的には有利になる場合が多いのです。しかし、水中でこのシステムを発揮するには、常にバディを意識しておく必要があります。ここが難しいところです。私達は水中に自分のバディを見に行っているわけではないですよね?(タマにいますかね?)。そうです、ダイビングの楽しみは他の所にあると思われます。なので難しいと言うか、一人でも潜れる人にとってはかなりウザイシステムなのです。

 

しかし、ダイビングを楽しむ為にはルールがありますので、是非守って頂きたいと思います。よろしくお願いします!今度はガイドさんの立場から見たバディシステムです(あくまでも僕の意見ですが)。ガイドさんは普段、何名か一緒にガイドする事が多いと思います。で、重要になることが、ガイドに徹する事が出来るか出来ないかです。ポイントの決め方その他お客様のダイビング技術など色々な要素が絡んできますが、最低限、潜降、浮上、耳抜き、中世浮力は自分でコントロールして頂きたいです。この4点に自信が無い方は、必ず担当ガイドに事前に知らせておくべきだと思います。(もしくは、ファンダイブに出る前にチェックダイブをしておくなど)これらの条件次第ではポイントの変更、潜り方の変更、チームの変更などなどに影響します。これらを怠った場合に無理なダイビングの可能性が増えてきてしまいます。よってあまり楽しめないダイビングになる可能性も増えると言う事です。

 

そしてガイドがガイドたる仕事をこなす為には、皆さんにバディシステムを守って頂き、バディ単位で最低限の自己管理やダイビングのコントロールをして頂くと、きっとガイドさん達は本来のダイビングガイドを遂行できる事だと思います。もし皆さんがこのシステムや最低限の事が出来ない場合には、ガイドは海の生物や状況などよりも、皆さんをずっと見ている事になります。よって、限りなく講習に近いダイビングになることでしょう!(ただし、あなたとガイドがマンツーマンの場合は除きますね!)なので、楽しむ為にはバディーダイビングをしましょう!

 


グループでのダイビング


ずっとダイビングをしていると、気の合った人達と色々な場所で出会う事もあるかと思います。そしてその人達とまた違った場所でダイビングに行く事もあるのではないでしょうか。また、同じダイビングスクールなどで出会った人達と一緒にダイビングに行く事もあると思います。こんな時にはもちろんバディダイビングをして頂きたいのですが、どちらかと言うと、皆で一緒にダイビングと言う形がもっとも好ましいのではないでしょうか?みんなバディ!と言うノリですね。こんな時のダイビングは物凄く楽しいです。たくさんの知り合いとダイビングしていることになるので、水中では皆と同じ海を体感している事になります。よって感動なども分かち合う事も可能ですよね。ダイビング後の話も共有できますし、とにかく仲間が多いのは楽しい事です。お酒なんか入るとよりいっそう楽しいですよね!(もちろんダイビング後ですが)。

 

ところで、ダイビングの最小単位はバディですが、もともと多人数でダイビングに来ている場合には、いくつかのバディが集まったグループになります。グループの人数はその時によって様々になりますので、その人数やダイビングのスタイル、ダイビングの経験などもきっと様々になることでしょう。こんな時に皆で楽しくダイビングをする為には、みんなで楽しくダイビングできるような環境を選ぶ必要が出て来ます。ものすごく当たり前のことなのですが、なかなか難しいものです。

 

例えば、6名のグループの中に2名水中カメラを持っている人がいます。他の2名は長い間ダイビングをしていませんでした。最後の2名は水中に入っている感覚が好きな人達です。本当の所はグループを分けるのが良いかもしれませんが、今回はその選択は無しと言う事にしたいと思います。さあこの6名でダイビングに行った場合、どんな事に注意をしなければいけないのでしょうか? 一概に言えませんがこんなことが予想されます。まず水中カメラをする方は、水中で同じ場所で止まる時間が多くなります。長くダイビングをやっていない方はダイビングを忘れている可能性が高いので、水中に潜れるかどうかも分りません。感覚好きなダイビングの方は、一定のペースで水中を進むことが予想されます。

 

さて、みんなで楽しくダイビングをやる為にはどのようにするべきなのでしょうか?完全な答えはありえませんが、1つの答えとして、なるべく波の穏やかな浅めの砂地でダイビングを始めることでしょう!これはどの人に基準を合わせているかというと、長い間潜っていない人です。ダイビングはまずダイビングが出来ないと始まりませんので、このようななるべくリスクの少ない選択をするべきだと思います。もし6名が何も問題なくダイビング出来るようでしたら、コンディションにもよりますが、皆の欲求を分かちあうダイビングスタイルを早めに発見する事でしょう。この様に、多人数でのダイビングの場合、そのグループでの、楽しみの最小公約数を見つけておくと、みんなでダイビングを楽しめる確率が増すことでしょう!



ゴマモンガラとの戦い


フグ目モンガラカワハギ科ゴマモンガラ。この知っている人は知っている魚。一戦交えた方も少なくないのではないかと思います。キヘリモンガラという種類もいるのですが、ここではゴマモンガラだけに焦点を当てさせて頂きます。この魚、本などで見るといかにもゴッツイ形で、存在感十分なお方です。子供などは本当に可愛いのですが、(まあ、人間も魚も子供の頃はみんな可愛いですね)大人になると、世間様を騒がせる魚に大変身します。

 

私の長年潜っているタイランドでは、東側の西太平洋に属するタイ湾に浮かぶタオ島と、西側のインド洋に属するアンダマン海プーケットでは、この魚の大きさから性格までかなり違いがあるようです。プーケットでは、サイズ的には30~40cm、比較的こちらからアクションしないと近寄っても来ませんし、もしこちらに来たとしても、俺の縄張りだー!と言う感じで威嚇されるか、悪くてフィンをかじられる程度でしょう。

 

一方コサムイ、正確にはタオ島近辺に住むゴマモン様は、大きいと50~60cm、突然回りをぐるぐるされるか、いきなりフィンをかじられます。知り合いの中では、頭を3針縫い、こめかみに歯が残っていたり、前歯を多少折られたりとなかなかフレンドリーです。そして、ここのゴマモン様はかなり学習能力があるらしく、こんな事もありました。

 

ある日、お客様とマンツーマンでのダイビングでの出来事です。潜り始めて20分ほど、正面から物凄い勢いで突っ込んで来る30cmほどのゴマさんがいました。彼は(彼女は?)私達の周りをぐるぐる回り始めて威嚇してきました。私が良く思うことなのですが、ゴマモンが来た時には何があっても動かない事!動けば動くほど向こうも面白がり、もしくは警戒してアタックが激しくなるようです。ですので、私達に飽きるまでじっとしていて、離れたすきにゆっくりその場所を離れるようにしています。これで普段は問題ないのですが、この時はじっとしている時間なんと10分ほど。もう勘弁して欲しかったので、ナイフでこちらから軽く威嚇してみようとしてみました。すると、なんとナイフを取り出す「カチッ」という音を聞いてそそくさと去ってしまったのです。これには私も驚きを隠せませんでした。きっと、ナイフを持っているダイバーと百戦錬磨で戦ってきたのでしょう。彼もプロでした。この様にゴマモンガラさんは、私にとって長年サメよりも気を付けなくてはいけない生き物の1つでした。ただし、たいていのゴマモンさんは、ひたすら動かず、心の中で謝りながら、縄張りから離れる事で許してもらっていました。

 

ですので、私はフィン以外かじられた事はないです。魚も話せば分かってくれる様な気に勝手になっています。明らかにしつこい時には少し怒ってしまいましたが。しかし最近、ゴマモンさんといい関係になってきた様な気がします。正確にはゴマモンさんだけではなく、水中に住んでいる生物達とです。勝手に思っているだけですが、僕的には楽しいので最近の僕のダイビングは、ダイビングしている時、リラックスしている状態を作ることと、生き物に対して人間と接するような感じでいる事。これらはすべて普通のことだと思いますが、これが僕には非常に難しかったのです。

 

しかし、スタイルが変わってからは、海や水中生物とのトラブルはあまり無くなりました。タイで約10年ダイビングをしておりますが、ダイバーさんに人気のジンベイザメやマンタさんなども、見たい見たいと想っている時ほど、あまり見れない様な気がします。なんだかオーラはバレバレなのかなと思ってしまうほどです。また、カメラが無いと近寄れるのに、カメラを向けたとたん逃げて行く魚。逆に寄って来る魚もいます。これまたなんだかオーラなどを感じ取られている様な気がしてたまりません。

 

逆に、私達は水中の生き物達から見て、かなり異色の生き物であり、突然向かってくることもあり、時にはいきなり掴まれたり、殺されたりと、私達がサメやウツボを危ないと思う以上に、彼等は私達のことを理解しがたい存在に感じているはずです。人間の世界でも同じような事が当てはまるのではないでしょうか?ですので、私たちはこれからダイビングを通して、水中生物達にもっと人間を理解してもらいましょう!もちろん良い意味で!(陸でも同じですね)。



潮と光と透明度


と言うか、流れと明るさと水の綺麗さ!なんてことになると思います。山の場合はには天気と風と視界。なんてところでしょうか。海と陸のガイドのところで少しお話させて頂きましたが、山のガイドさんなどは、安全に山を登る為、皆さんの体力などに気を配りルートを選んだり、休憩時間のタイミングをはかったり、山の楽しみ方、山の厳しさなどをふまえて皆様を山の世界にご案内するものだと思っております。なんて書きましたが、この事をなるだけ問題なく行う為には、天気と風と視界を無視しないことが最低限必要でしょう。

 

例えば、特別な人を除いて冬の吹雪の中の高山に登りに行く人はなかなかいないと思います。寒い、見えない、とにかく危ないです。ダイビングで言うとテクニカルダイビングと言う特殊なダイビングの世界になりそうです。私達は山登りのイメージとして、天気の良い、色とりどりの木々、心地よい風に新鮮な空気。と言うイメージが浮かぶ方が多いのではないでしょうか? その為に季節を選んだり、ご自身の体力などとも相談し、目的地を選ばれていると思います。しかし、それでももっと細かい状況になると、少し経験が必要になってくることでしょう。特に安全管理の面において必要になってくると思われます。その他、山の生物に関しての知識、木についての知識、天候状況の予測などなど。これらをカバーする為にはやはりガイドが居ると心強いですね。

 

海でのガイドもまったく同じような事を考えています。この章での潮と光と透明度、そして、これは山と一緒ですが、天候、海洋状況が海の場合プラスされます。まず潮の流れがガイドに及ぼす影響として、チーム全体のまとまり方と浮力調整などです。ドリフトダイブと言う流れに乗るダイビングでは、流れのスピードに自然に乗ることが条件になります。ちょっと後ろに漕いだだけでグループから離れる事になりますので、この様な状況の場合、カメラで止まって撮るのはなかなか大変です。

 

例えば、空港などにある平らなエスカレーターで、1人は止まっている。もう1人は歩いているでは、すぐ離れ離れになりますよね。ちょうどエスカレーターの進みが水中の流れだと思って下さい。流れの中で漕げばスピードは増してしまうことになります。そして、ダイビングのポイントによっては、必ず流れに逆らわなければならない時も有ります。その時自分のグループの体力を知っておかないと、ダイビング自体楽しめなかったり、思わぬ事故に繋がるので非常に重要です。水中の流れはどこの場所でも一緒なわけではなく、時間によっても変化します。そしてルートを選べば全く違ったダイビングをすることも出来ます。潮の流れは、陸上の風に似ています。何事も良い流れに乗るのは重要だと言う事ですね。

 

風が原因で出来る波も非常に重要です。ダイビングエントリー時の波や、ボート乗船中の波は、出来るだけ無いに限ります。僕的には透明度よりも波の無い場所を選択する方が重要な事が多い様な気がします。クルーズの場合など、、船酔いの可能性、食事の準備は可能か?寝る場所の選択などが波と関係してきます。

 

次に光についてですが、光が生物に与える影響は絶大で、人間も含めて光を媒体に、色々な物をまさしくイロイロ見て生活しています。光の影響は時間帯によって異なります。潜る時間によっては、生物達の御食事タイムにあたる時もありますし、ぐっすり寝てそうな生き物達も見れます。色を夜バージョンに変える生物も見れます。夕方などのシルエットだけの水中の世界もかなりシュールです(個人的には大好きです)。カメラやビデオなどを撮る場合は、この光が前にあるのか後ろにあるのかですべてが変わります。そしてもう1つ、夜行われるナイトダイブでは、ライトを持って水中に行きますが、光を嫌うもの、光を好むもの、色々な生物と出会える事だと思います。ナイトダイビングでは、光を生物に当てる当て方1つで、生物の反応も変わりますし、見え方も変わる様になります。カニなどは少しずらして当ててあげると、すぐに逃げません。しかし、寝てる魚を起こすのはやめてあげて下さい。

さて、最後の透明度ですが、一番お客様からのリクエストで多いものです。「透明度悪い所行きたーい」と言う人は今だかって聞いた事がありません。この透明度という問題は、先ほど挙げた2点も絡み非常に予想しづらいものです。季節の影響は間違いなくあると思いますが、ダイビングで潜るポイントなどは範囲が狭い為、実際にその時現場に行って見るか、潜らないと分らない事がほとんどです。ですので、何週間も前からの透明度の予想はほぼ無理です。いつも綺麗な海に潜りたいのは皆共通ですが(僕もです)、相手は自然なのでこればかりはどうし様もありません。是非この様な状況の時に、小さい世界に興味を傾けて頂きたいと思います。。透明度はどうあれ、水中生物はしっかりと生きていますので、多少のお味噌汁状態の中でしたら、海の中を楽しむことが出来るかも知れません。自然を勉強する、自分を良く知る、そして楽しむ。なんていうのもダイビングのスキルの1つだと思いますので、これからも考えていきたいと思います。

 


野生の感(勘)?


もちろん僕は野生人間ではないので、第六感と書いた方がいいのかもしれませんが、なんとなく海の中だと、気分は野生なのでこんな風に表現してみました(ガオー)。まず、感というのは、本能的に感じるもの、英語で言うセンスという感じでとらえて下さい。一方、勘は、数多くの状況を例に、統計的なものを考え、状況の特殊性など加えて予想する事です。「いつもはこうだけど、今回はこうじゃない?」という感じです。まず、勘を働かせるには観察する事が大切です。いつもこんな感じで考えている結果、感が働き、勘が冴える!なんて事が生まれてくるように思います。僕自身、こればかりは終わりの無い、そして正解の無いものなので、常に勉強中というか考えています。(ごめんなさい。考えてない時も有ります)。

 

ではこれが何に役立つかと言うと、まずリスクマネージメントです。そしてもう1つは、ダイビングでの楽しみを増やしてくれるということです。まず前者は、事故は起きる前に予防するということに繋げることが出来ます。ダイビングで考える問題として、人やボートの動きや魚の動き、天気や波などの表情の変化などがあげられます。人の動きなどは、かなりの確立でこちら側に責任がある様ですが、水中だけでなく陸上でも、特に潜る前でもダイビングは始まっているということを忘れてはいけません。お客様の中には緊張されている方、ノリノリな方、ボ~としている方、船酔いしている方、(まだまだいらっしゃいますけど)、色々ですが、どの方々も決して悪いわけではなくて、いろいろな方々がいろいろな形で過ごしているだけです。

 

この様な船上でのお客様のケアに、この感勘技術を取り入れると、お客様の行動の予測の助けになります。リスクマネージメントでの感勘は、判断を誤れば、良くない結果を引き起こすことになります。(こんな事書きたくないですが、事実です。)僕自身の昔の経験で、店側に何度も注意をしたにもかかわらず、改善を怠り、最終的には沈んでしまった船もありました。この時期に考えた事は、何事もまずは自分の意見を大事にしようと思った事と、自分の命も大切にしないといけないという事と、!スタッフのことを考えないショップは、もちろんお客様のことは、本当の意味で第一に考えてないと言う事が良く分りました。

 

海と利益とダイビングに絡んでくるのですが、野性の感勘の働きで、お店にも重要な利益を生むことも有ります。ただしこの場合は、お金が増えるのではなくて、後々問題になってお金がかかるのを未然に防ぐと言う意味になります。実際には、事前の判断はなかなか難しいみたいですが、色々なトラブルを経験すると、この手の判断は早くなると思います(早ければ言いというものでもないですが)。

 

もう1つ重要な事が有ります。ダイビングガイド、ボートマスター、船のキャプテン、そしてダイビングショップ。それぞれ、リスクマネージメントで考えている範囲が違うという事です。それぞれの勘を働かせて、ダイビングをまずは安全にすることです。その次に、楽しみを考えましょう!僕もたまにやりますが、「この魚を見に行きましょう!」しかし、まずは行ける様な状況なのかが大事だと思います。 ダイビングの保険をかけるのだけがリスクマネージメントではないという事です。もっと大切な事は、実際のダイビングでリスクを減らす方法を考え、そして実践する事だと思います。

 

次は、楽しみに役立つ感勘です。この感勘も基本的には同じです。観察と経験(分析)です。ダイビング中での天候状況については、皆さんにもお分わかりの通り、天気は、水中にいる私達にはあまり関係してきません。雨が降っても雨で濡れる事は有りません、というか最初から海水でずぶ濡れです(ドライスーツは別)。水中ではOKですが、ダイビング後水面に戻るのですから、その時に天気が悪く、海が荒れていたらひとたまりも有りません。

 

ですので、ダイビング前に、ダイビング後の天気予想をすることが重要です。海が荒れているとダイビングの楽しみ方はかなり狭くなりますし、危ないですよね!ダイビングガイドは、入った瞬間にコースはもちろん、出る場所まで計画する事がほとんどです。波、流れ、船の状況、お客様などを考えます。ここで重要なのは、僕の場合、コース取りは、水に入る前には完全には決めないと言う事です。入ってみないと分らない事が多い為です。(人間も直接接触しないと分らないことが多いです)。かといって、入る前に何も決めていない訳でも有りません。海自体も大きな生き物という見方が出来るので、海の変化にこちらが敏感になり、感勘を働かせる必要が出て来ます。

 

そして、特に水に入ってみないと分らないのが、生き物の分布です。基本的に魚達は流れに逆らって泳ぎますので、同じようにすると、意外に魚の群れ達に遭遇します。なおかつ、私達が魚になった気分で、水に溶け込んだ様に、そしてゆっくり流れに逆らって泳いでいると、生物達の後ろから近寄る形になるので、少しこっそりしながら近寄れます。ただし、ひとつのダイビングポイントを右に行くのか左に行くのかは、その他の状況が同じ場合、最終的には感(勘?)だと思います。

 

まずは入った瞬間に魚の気持ちになる。と言うか、魚の向かっていく方向や、群れの分布などを良く見ます。もうひとつ重要なものがその時の気分です(でも安全第一です)。良く思うのですが、大物来たるは群れはムレムレになる。なんて現象があります。人間も同じだな~なんて思うのですが、何か特別な人や物や現象が身近な時には、緊張しますよね。そして、特別な物は特別なだけに、注目する何かがあるのだと思います。ですので、人も集まるのではないでしょうか。魚も、特にジンベイザメなどは、(ほとんどタイしか潜ってないので、タイでの話ですが)ダイビングポイント付近に居る時には、その他の魚達のグループの密度はかなり高くなる気がします。まあ、えさとの関係と言われれば、それもかなりあると思いますが、実際のところジンベイザメと話した人がいない以上、色々な想像をして良いと思います。

 

と、この様にに全く勘ではなく分析してしまうのですが、こんな事を考えていく果てに、感や勘が育っていくのではないでしょうか?しかし感勘は不安定で不確かなものです。しかし生きて行く中で必要なものです。私達は、色々なものに意味を付けたがる癖があると思います(僕も含めて)。感、勘、というものは正確なモノではないだけに、色々な可能性を秘めている人間の未知の部分、ニュートラルな部分、という見方も出来るのではないでしょうか?

 

正確でないモノ、ニュートラルなモノ、分らないモノ、などの重要性は、私達のライフスタイルにも影響してくる問題でしょう。イエスでもなくノーでもない分らないという答え。いい加減な風に見えて実はとても重要です。ゼロを考えたインド人も凄いと思いますが、幸せになる方法として、「無知と健康」と、言ったある有名な日本人の言葉は非常に考えさせられます。すべて、きっちりさせる。すべてに答えを出す。疲れてしまいますよね。もともと人間は、そういう風には出来ていないと思います。

 

 

カメラとダイビング


違う章で書きましたが、水中カメラの世界と言うのは、僕のダイビングにかなりの影響を与えています。写真自体は昔から撮るのではなく、見るのが大好きでした。特に現代アートが好きな僕は、ちょっと変わったものも好きでした。全く自分で撮らなかったわけではありません。オーストラリア一周の時には、馬鹿ほど撮ってました。僕が22歳の頃です。この時に初めてダイビングのカードを取り、1年滞在中3回程しかダイビングしませんでした。簡単に言うと、あんまりダイビングに興味は無かったということです。

 

話がそれましたので、カメラとダイビングの話に戻ります。僕は水中カメラを持っていますが、ダイビングガイドの時にはあまり持っていかなかったので、なかなか写真を撮る機会に恵まれませんでした。しかし、カメラを持ってダイビングして、お客様を撮ってみたり、生物を撮って後のログ付けで使ったり、このホームページの様に日記風に使ってみたりと、かなりの楽しさの幅が広がりました。きっとカメラとダイビングは非常に良い愛称なのだと思います。しかし、ここで考えなくてはいけない事は、ガイドがカメラ優先になってはいけないと言う事です。ガイドがカメラを持ってファンダイブしたら、ほとんどお客さんになってしまうということです。(それはそれで羨ましいのですが)

 

と言うことで、カメラを持っていってもファンダイブしなければ良いのかもしれません。撮るタイミングをわきまえてダイビングすれば良いのではないでしょうか?明らかに持っていかないほうが良い時には控えましょう!正直言って、カメラを持つのと持たないのではダイビング自体かなり違いが出てきます。まずカメラがあると、どうしても、周りの海の変化に鈍感になります。カメラを覗き込む時間が増えるからです。そして魚の中にはカメラ嫌いがいます。きっとそうだと勝手に思っています。普通に見ていると何もしないのに、カメラを構えたり、持っているだけで、明らかに敬遠している魚がいたりします。その反対に「撮って撮って!」と言わんばかりによってくるのもいます。猫みたいにスリスリするのもいるぐらいです。ミツバモチノウオという魚がいるのですが、、あまりにもスリスリするのでみんなでポチと呼んでいました。よく見ると、口の脇に折れたウニが刺さっていて、ちょっと馬鹿っぽくて非常にキュートでした。

 

カメラを持っていくにしても行かないにしても、どちらにもメリットもデメリットも出て来るので、はっきりしたルールが創りにくいと思いますが、はっきりとした問題点もあります。まず、カメラを優先にしたが為に、ダイブプロフィールが非常に厳しいものになる時がある。そして、カメラを撮る時に、水中生物に着地したり掴まったりする(サンゴももちろん入ります)。この2点は非常に重要な事で、ケースバイケースでと言うわけにはいかない問題だと思います。この2点は、安全第一という事と(たまに冒険もありです!)、水中生物を尊重するという事です。(たまにごめんなさい!)そんなに難しいことではないと思いますので、みんなでがんばって実践しましょう!

 

次の問題は実際に写真を撮る時のテクニックにつながりますが、魚を追いかけて写真を撮る場合です。突然もうダッシュ!だと、魚もビックリするみたいで、もの凄い勢いで逃げていきます。陸上でも、いきなり知らない人がもうダッシュで追いかけてきたら、とりあえず怖いですよね。そして叫びながら逃げると思います(きっと戦う人もいると思いますが)。ですので、なるべく自然に水中生物に近づく様に心がけましょう!でも、相手が怒っている時はやめましょうね。

 

以上カメラとダイビングはまだまだ色々な可能性を秘めていると思いますので、これから色々な楽しみ方を見つけていきたいと思います。ここでビデオの話が出ていないのですが、僕はまだビデオを持って入ったことが無いので感想が書けません。今後トライしてみたいと思いますが、とうぶんカメラ漬けの様な気がします。風景を一瞬で閉じ込める道具カメラ。本当に奥が深くて面白いモノです!



無国籍ダイビング


タイでダイビングしていると、色々な人種の方々に出会うことになります。どちらかと言うとヨーロッパの方や北欧の方が目立ちます。最近はタイ人のダイバーの方も増えて来て、本当に色々な人種の方々がダイビングで楽しまれている様です(偉そうに言える立場では有りませんけど)。ダイビングの場合、使用するダイビングショップや船などによって同じ国の方が固まる傾向が強いお店も有ります。タイに来たばかりの頃は、日本人のお客様専門店で働いていましたが、最近は日本人以外の国の方、アメリカ、イギリス、北欧、ヨーロッパ、中国、アフリカ、タイ人の方などなどとのダイビングを楽しんでいました。そしてボートマスターの仕事をやっていた関係上、働いていたお店が多国籍対応だったと言う事も含めて、お客様は人種多様と言う事がほとんどでした。

 

この様な中で働いていて思った事があります。その国ごとに有る程度の性格の傾向があるのかな?と言う事でした。(良くドイツの方と日本の方は似ているなんて昔聞きました。僕的には天気が影響しているように思えますけど。)しかし、やはり人はそれぞれ個人で違うもの、国で判断するのは良くない事でした。そして、その国のダイビングスタイル、そして、各個人それぞれのダイビングスタイルが有ったという事です。しかし、皆同じ人間でダイビングを楽しみに来ていることには変わりはありません。共通点はあるはずです。そうです!ダイビングを楽しむのに人種など関係なく、逆に、楽しみ方の種類が増えてかえって勉強になることが多かったのです。

 

例えば、ダイビング以外はひたすら本を読んでいる方、ログブックに時間をかけている方、日光浴に勤しむ方、人とのおしゃべりが好きな方、ひたすら寝ている方。色々ですよね。時間の使い方も人それぞれです。ダイブクルーズなどでは、ダイビングして、ご飯食べて、寝るという繰り返し。普段の生活からはまったく違った世界に突入します。きっと時間の流れ方の違いにビックリするはずです。タイのダイビングでは、ゆったり流れている時間も、あ!っという間に過ぎていく時間も両方体験する事でしょう。自分がいかに時間をうまく使えるか?時間を制するものはクルーズを制す事でしょう。これは一種ダイビングを楽しむ為の技術の一つです。

 

そして、水中に入れば言葉は関係なく、陸上で手話をしているのと同じです。(ダイビングでは手話が出来ると非常に役立ちます。)もともと言葉が無い方が、人間同士のコミュニケーションはシンプルで上手くいくのではないかと思ってしまいます。陸上でも言葉関係なくみんなでわいわい楽しいですよ!(お酒があるとますます楽しいですね)。こんな感じの陸上での色々な人種の方との交流を踏まえて、得たものは僕的には莫大です。どうしても同じ国の人達が集まると、知っているだけにコミュニケーションが複雑になります。しかし決して悪いわけでは有りません。(僕も日本人なので細かい話は絶対に日本語が良いです。母国語同士の話し合いは細かい所まで話せるのがいいですね。)日本語も英語もタイ語も、人間同士がコミュニケーションする為の、ある1つの道具だと考える事が出来ます。この道具はシンプルであればあるほど効率的でしょう。私達日本人の日本語は他国では母国語として使われていません。英語は沢山あります。そして言葉と言うのは違う国同士の場合、正確に通訳する事が出来ません。あくまで「自分の国風に言うとこんな感じ?」というものなのではないでしょうか?日本人同士でも表現が違いますからね。

 

一方、人種多様ですと、色々な習慣が国によってある為、日本と言う国について逆に自分が質問したくなります。他の国の人が周りにいると自分が日本人だと言う事が強く感じられます。そして、他の人を気遣う心が必然的に発生します。(しない人もいるかもしれません?)。ではダイビングと言うのは水の中に潜るというものが対象ですが、先程述べた様に、ダイビングで持っているイメージは人それぞれ違うはずです。

 

しかしもっと大きな意味で海を知るということがこれから必要になってくるはずです。無国籍ダイブと言うのは実は多国籍ダイブから必然的に生まれてきた発想です。多様性が見つからなければ、やはり物事は崩壊するものだと思います。しかしバラバラすぎればこれも又崩壊です。ダイビングを安定した思想&学問のスポーツとして、無国籍ダイブを提唱したいと思います。無国籍ダイブは、水中世界に言葉の違いは関係ないという事を、改めて実感させてくれます。



自分も楽しむ事の意味


僕のダイビング歴はほぼ99%はタイでのダイビングです。約10年ちょっとずっとタイです。最初は何がなんだか分らずただタイに居たいが為に働いていました。シーウォーカーというヘルメット潜水の仕事もやりました。とにかく水の中に浸かってきたタイ生活です。プーケットの海、シミラン諸島の海、サムイ島の海、タオ島の海、ミャンマーの海、など沢山のポイントでダイビングをしてきました。それぞれの海で色々な思い出が有りますが、大半は楽しい事ですが、楽しい事ばかりと言うわけではもちろん有りません。

 

どこの会社でも3年5年10年と言う仕事の壁が有りますが、僕も例外なくそのシステムに参加しました。それぞれの年で何かしらの変化があった時期です。特に悩んだのが、海に飽きてきたと言う事でした。多分5年目ぐらいです。そこで、プーケットからサムイ島に移りました。サムイの海はプーケット側の海、特に水中の生物が全然違うのにビックリでした。この頃には水中の生物がかなり好きになっており(以前はあんまり興味なし)、この頃沢山の生物の名前を覚えました。

 

仕事柄きれいな海ばかり潜っているのではなく、もちろん、味噌汁みたいな所にも入っていった事はあります。こんな時は、楽しむよりもハグレナイデ~!という感じになります。ダイビングには色々な楽しみ方があるという事は他の章で書きましたが、色々なダイビングをやればやるほど新鮮さと言う意味では乏しくなり、新しいものが少なくなってきます。場所を変えるのが一番手っ取り早いですが、これにも限界があります。仕事の場合は特に関係します。海に飽きた→場所変えた→海に飽きた。これの繰り返しに果たして意味があるのかどうかと言う事を考えた時に、慣れというものの恐ろしさを感じました。とにかくどこに潜っても楽しくないのです、こんななことが有っていいのでしょうか。 間違いなく自分の問題であり、間違いなく人からの助けは入りません。

 

こんな時に運良くカメラと出会いました。これは僕的にはかなりショッキングな事件で、ダイビングの楽しさが何倍にも広がる事になるとともに、今まで同じように見えてきた景色が違う風に見えて来たのです。そこから、ダイビングと言うものは透明度でもなく、大物でもなく、レア者でもなく、海に潜っていると言うことだけを純粋に楽しむ重要さを、肌で感じた記憶が有ります。他の章で書いた、当たり前の事を馬鹿にするべからず、この意味は、毎日潜っている海は同じように見えていたのは錯覚で、同じ海など2度と無いということです。自分の潜っている水中世界は今だけのものです。このことを考える度に、今出会っている生物達は次には出会わないかもと思ってしまいます。いつも同じように思える景色も永遠では有りません。一期一会的です。何か寂しい感じですが、そのような海に対して、生物に対して尊さを持つ事は、僕のダイビングの楽しみのベースになっていくことだと思います。

 

いつも当たり前の景色が異様に楽しいものに思えてくる。これって不思議です。当たり前は勘違い。海も陸上も同じ事。今は2度と無いということをいつも頭に入れて置くようにしています。 ダイビングの仕事は、教えるにしろガイドをするにしろ、こちらが楽しんでいなくては、きっとお客様も楽しめないのではないかと言うのが、僕の基本的な考えです。楽しみ方は人それぞれですが、ダイビングを通して何かを得るということに関しては同じです。水中世界だけでなく陸上でもダイビングを楽しむ。ダイビングを1つのライフスタイルにしていくのが僕の楽しみの1つです。新しい感動を求めて!

 


これからの楽しみ方


ダイビングの楽しみ方と一概に言っても、僕自身も書いている通り、ダイバーさんの数だけ楽しみ方もあると思います。例えばどんな楽しみがあるか?とにかく水につかっていると楽しい。水中生物の観察。珍しいもの。大きいものなどに遭遇するスリル感。色々なダイバーとの交流。違う環境の勉強目的。ひたすら南国を楽しむ為の道具。宇宙飛行士になる為の訓練(あまり居ませんね)。などなど。最後のものは僕とはあまり関係ないものですが、挙げれば切が無いですね。もともとは軍隊から発展してきたダイビング。それから、純粋に水中を潜る為に器材を開発して、今では子供から大人まで多数の国で楽しまれる様になっています。ダイビングとは人間が魚のように長時間水中にいることが出来る、いわば魚になっちゃう道具です。魚の方もきっと人間に対して「ようやってるな!」と思っているに違い有りません。潜る事が出来るようになり、心構えがしっかりしていれば、新しい世界に突入するのは大したことではありません。

 

ここで考えなければいけないのは、私達も、この水中世界に生きる生物達も、全く同じ1つの命です。この様に生き物に対して一対一で向き合う事は、これからのダイビングに大切であり、この様な考え方から生き物達の性格の違いなんかにも興味がでてきて、それはそれで楽しみも増えると思います。そして、ルールより先に楽しみがあるのではなく、ルールの中で楽しみを見つけることが非常に大切です。もし前者の場合、人間はやりたいことだけどんどんやってしまうでしょう。なぜなら、水中の生き物達が、陸上で私達に対して出来る事は有りません。私達はどうか?色々出来る事が有りますよね。直接的でなくても間接的にでもいろいろあります。

 

これまでは、意識の面ですが、次に実際のダイビングスタイルについてです。大まかに分けて、2つ有ります。1つは、ガイド付きダイビング。もう1つは、ガイド無しのバディダイブです。これはどちらにでも利点がありますが、ベースをしっかりしないとやはり大変面倒な事になります。タイではほとんどの会社がガイド付きダイブで提供されています。ガイド付きの利点はもうお話しましたが、後者の考えは、すべてのガイドの意見ではないと言う事と、同じく、すべてのダイブショップの意見でもないので、一般的な意見ではありません。しかし、お客様の中には、ガイドを必要としない方が存在しています。僕の意見も含めてです。この様なお客様と、ガイドの必要性の間には、僕には差をつけなくてはいけない何かがあるように思います。

 

1つのボートに、ボートマスターが居て、ガイド付きチーム、ガイド無しチームが混在しても大丈夫なシステム。安全管理の面をクリアーするのが難しいという意見があるかもしれませんが、タイではこれから、この様なシステムが発展して欲しい物です(実現はまだまだ先になることでしょう)。なぜなら、ガイドなしダイビングは確実に色々な事を私達に教えることになるからです。そして、実現できれば、又世界が広がりますしね。

 

各ダイバーが責任を持って状況判断できるダイビングシステム。どんな人種の方でも楽しめるダイビングスタイル。どんな人種の方とでも楽しめるボート。これを実践する為には、色々な人種の方がミックスしている状況を作る必要があります。これ自体も1つのダイビングスタイルと言えそうです。1つのボートで色々な価値観を持っている人が乗ってはいるが、皆様の要望にお答えできるようなボートシステムを作る事は、きっとこれからのダイビングを、いっそう楽しいものにすることだと思っているのは、僕だけでしょうか?



ダイビングの役割


音楽や映画、写真や絵画もアートだと思いますが、実際潜っているダイビングは、水を感じ、生き物の気配、意識を感じられる体感するアートだと思います。水中世界を楽しむダイビング、何も考えずにボ~と水中にいるのもまた、気持ちの良いものです。真っ白な砂地にあお向けに寝転がり、真っ青な水の中に、白いひまわりのように描かれている太陽の日差し、とてつもなく大きなキャンバスに絶えず変化する色と動きと形。ダイビングをするとこの様な世界を垣間見ることが出来ます。泡ひとつでも芸術的作品を作り出すことも出来ます。バブルリングという空気の泡です。ちょうど天使の輪のように、そして、どんどん広がりながら、フワ~と、浮いていきます。個人的には非常に好きです。

 

すべての人ではないですが、ダイビングには、ストレス解消などの精神的なものに影響を与える効果がある様に思います。良いダイビングは本当に気持ちの良いものです。時間の感覚、重力の感覚、距離の感覚、色の感覚もすべて変わります。ダイビングは新しい次元を提案している様です。私達がこれから向かおうとしている世界の準備かもしれません。(ちょとおおげさですが)。人類には、過去にミッシングリンクと呼ばれている謎の期間があるらしいのですが、この期間の人類の事は全く分かっていないらしいです。この頃人類は、どのような環境で住んでいたのか、どのような物だったのか、この期間がなぜ謎になってしまったのか?とっても気になります。僕としては、この頃の人類が水中に住んでいて欲しいです。なぜなら、もっと色々な謎が解決していき、そしてまた新たな謎が生まれるなんて、かなり感動ものだからです。これから先、どのようなことが発見され、そして発明されていくのか?ダイビングが何か答えを導き出してくれるのではないかと、少し期待しています。

 

次に、これから先忘れてはいけない事件です。僕自身その状況にいましたが、2004年12月26日、インド洋で大変大きな津波が有りました。プーケットも被害をこうむり、陸上、水中環境も含めてダメージが有りました。(大地震はほぼ100年周期にやってくると言われているみたいです)。この時に、国立海洋公園のサンゴの保護と復旧目的で、サンゴ復旧クルーズという名前で、僕も含めて、9割タイ人でしたが、各地域から、大勢のボランティアダイバーが参加していました。サンゴが実際にどれくらい復旧されたかどうかと言う前に、世界中今までに無い復旧活動に、学者さんも含めて、真剣に取り組んだことに大きな意義があると思いました。津波後の水中世界は僕も初めてでしたが、サンゴがかわいそう、生き物がかわいそうと言う感情よりも先に、自然のパワーと言うものに圧倒されてしまいました。やはり私達は地球と言うものの中では、ある1つの生き物に過ぎない。当たり前だけれども再確認せずにはいられませんでした。人生で一回起こるかどうか分らない様な自然現象を、ダイビングを通して学ぶことが出来たのは非常に幸運でした。

 

プーケットは、津波後の水中世界や自然環境保護、そして維持の問題など、これから先必ず考えていくことだと思います。これからのダイビングが、その様な事の手助けになれたら良いと思います。南国に海は絶対に欠かせませんそして、美味しいフルーツや笑顔もです。これを守るには、もっと大きな視野で物事を見ないといけないのではないでしょうか? 全く人の入らない自然、全く自然の入らない環境、そしてその中間に位置する、自然と共存する人々。この3つの環境のバランスは、例えば、黒の絵の具と白の絵の具がお皿の上で交わる時、極端にきっぱり白と黒が分かれるのか、白と黒がジンワリと混ざり合ってくるのか。ほとんどグレーになってしまうのか?どのような形でも、白と黒は存在してます。この交わり方の形で、周りの環境も変わってくるのだと思います。そして、この中間にいる環境と言うのは、いろいろな形を持っているので、その環境で色々な答えがあると思います。

 

これから私達は自然と共存する時に、今まで以上に自然を理解し、恵みだけを頂くのではなくて、お互いのメリットを見つけ出していく、そしてそれを実践する。という事がとても大切になってくるはずです。今までの歴史でも、いろいろな人達が、いろいろな事にチャレンジしている様に、これからのダイビングの役割として、どこの環境にいても、自然を違う立場から考える事が出来るようにする、新しい学問として成長して行って欲しいと思います。 (学校の授業などで取り入れるのは非常に良い事だと思います。) これから先も、ダイビングは私達にとって、色々な可能性を引き出してくれる、素晴らしいレジャーになっていって欲しいです。



ダイバーとして海を考える


いくら僕が、「陸上でもダイビングしましょう!」と言っても、やはり潜る環境が必要です。川、湖、ダム、そして海。この中では、きっと海がダイビングフィールドとして一番多いのではないでしょうか。海には、南極の様な冷たい海もありますし、こちらタイランドの様に、常時水温が27~30度ぐらいある暖かい海もあります。いろいろな場所でダイビングが可能ですが、遊びでのダイビングは、まだ100年も歴史の無いものなので、海中世界の様子などの変化は、まだまだ断片的なものしか見ていないのではないかと思います。一般的にダイビングと言うものが普及し、カメラなどが水中でも使えるようになったのは、ほんの何十年の世界です。まだまだ海について知らない事が、これから次々に発見される事でしょう。それほど海については、私達は知らないことだらけです。

 

どれぐらい知らないかと言うと、私達がダイビングなどで潜る世界は、特別な機材を使わない限り50メートル未満がほとんどでしょう。世界の水のある場所(大洋、紅海などの閉鎖的なもの、アンダマン海などの沿海も含む)の平均深度は、なんと約3800メートルらしいです。アンダマン海の平均は、約870メートル。一方、僕のダイビング深度の平均は、20~10メートル。アンダマン海の面積は、約80万平方キロメートル。なんて見てみると、僕の海での活動範囲は、非常に狭いものです。こんな狭い範囲で海を語っているのは本当に恥ずかしい事です。しかし、こんな狭い範囲で潜っているのにもかかわらず、海中のそこそこの大きさの生物達のほとんどが、私達が機材を使って潜れる範囲に、集中しています。(このさいプランクトンとかは除きましょう)。こんなに広い海なのに。(ちなみにすべての海洋面積は、約3憶6000万平方キロメートルらしいです)ほぼ私達でもいける範囲に生物が集中しているという事は、私達はこの狭い範囲で、その他の海に関係することも考えなければいけない、ということではないでしょうか? なぜなら、他の生物も選んでいる環境、陸上の生物すべてのルーツは、海から来ているという事を考えていくと、この環境に異変が起きれば、私達にも異変は起きないのかということです?

 

しかしこんな人もいるのを忘れてはいけません。一生海を見ないで過ごした方、もしくは過ごしている方。この方に海は必要なのか?きっとこの人は海のことも考えたことがないかもしれませんし、いつかは見ようと思っているかもしれません。この様な場合は、直接海に関わっていないのに海が必要なのでしょうか?これについては、すこし考える必要があると思います。直接関係なければ良いのかどうかと言う事です。(大多数の方が必要だと答えて頂けると思いますが)。先ほど書きましたが、私達は十中八九、海から生命を頂きました。そして陸上の生活にも欠かせない働きをしているはずです。そして、人間の近くにある森林も、人の手が入らなければ荒んでいく様に、人間の近くにある海も、人間のコントロールが必要なはずです。実際には、活動する為に、何を基準にして考えなければいけないのか?と言う問題が重要になってくるでしょう。

 

そして、ダイビングをやっているといろいろな環境問題を耳にすることになります。最近では、津波という物凄い環境変化が有りました。その他オゾン層の破壊で温暖化になる、海水温が上がりサンゴが死滅する。オニヒトデにサンゴが食べられてしまう(?)、ダイナマイト漁の禁止、スピアフィッシングの禁止、ゴミを海に捨てない、捕鯨の禁止、船から出るオイル、などなどまだ有ります。

 

2005年のプーケットでは、津波後の海の清掃、サンゴの復旧活動及び調査など、僕もどちらも参加しましたが、非常に海のことを勉強するのに役立ちました。亡くなられた方々にはご冥福をお祈りするばかりですが、僕もその日のプーケットにいたので、運が良かったとしか言いようがありません。津波と言うものは、海は生きている、そして私達は、海とともに生きているのだと言う認識を、改めて再確認出来る自然現象です。

 

しかし、水中の生物は、私達が考えているほどヤワではないみたいです(もちろん津波で死んだ魚もいましたが)。こちらの海を見て頂ければ分りますが、以前にも増して水中世界は活気付いており、津波後の水中生物の生命力に感動したりもしていました。海はダイバーだけでは守れない。けれども、水中環境を身近に感じているダイビングというものは、人間と海の中間の立場で、海と森と陸と、そして人間のバランスの大切さをもっともっと伝える事が出来る、1つのライフスタイルだと思っています。



海から見た人間を考えてみる


海という字の中には母がいる。そして、母なる海とも言いますよね。すべての生物の原点は海にある。まったくその通りだと思います。実際にその時に生きていたわけではありませんが、今の所、それ以外に考えられません。水中から陸に上がるには物凄い生き物達のチャレンジがあったはずです。海に住んでいられるのならずっと住んで居たかった事でしょう。なぜ生物達が陸に上がってきたのか?1つの答えは、きっと逃げてきたのでしょう。

 

今でもダイビングしていて思いますが、水中世界では常に食物連鎖による水中生物達の生死があります。どこの国でも戦争をしている、戦国時代に近いでしょう。耐えられませんよね?そこで、安住の地を目指して陸地を見つけた生物がいたとしても不思議はないはず。が、水中環境と陸上では全く違います。それでも、両生類を経て人類が存在しているのは、はっきり言ってすごい事です。なので、私達の体の中には海の記憶が残っているはずです。

 

そして、陸も海とは切り離せない関係に有る事でしょう。海と陸が誕生してから人類が誕生したのなら、母体の海の生物に異変が起きれば次に陸上に、そして人類に影響を及ぼす事は簡単に考えられます。そして今確実に海は変化している様な気がします。少なくとも人間によって。

 

海は人間が考えるよりも複雑なものだと思いますが、ある意味では非常にシンプルなものだと思うので、舐めればそのうちしっぺ返しがやって来るのではないか?いや、きっとこのままでは来るだろうと思います。もし海のシステムが人間の行為によって変わってしまったのなら、今まで従来の海で生きてきた人間の大半は適応に間に合わなくて死んでしまうことでしょう。

 

良く思う事なのですが、海はどんなに汚れようと海自身はいっこうに困らないのではないでしょうか。海はどんな形でも海は海であり、海自身が変わって困るのは、人間の方だからです!海に住んでいる生き物は、海の違いに敏感に気付いて、移動したり、産卵したりと、まずは海ありき。そして間に合えば適応している様な気がします!

 

人間の場合、環境より先に人間の欲望と相談しているように思えます。そして、たいてい欲望どおりになってしまう事、つまり相手を自分に適応させる事です。そこそこは良いと思いますが、何事にも限界はあるでしょう。最近度を越えている様な気がします。この様に思うのもダイビングをしているならではの事です。と言う事で、皆さんもダイビングをして、人間と海と、そして陸の3点セットの良い関係について、一緒に考えてみましょう!



地球から見た海を考えてみる


もちろん地球になったことがあるわけではないので、こんな事考えること自体がナンセンスかもしれませんが、地球にとっての海を考える事で、私達がダイビングで対象にしている海の偉大さや、大切さなどがいっそうはっきりしてくるのではないかと思ったのです。まず、地球にとっての海は体の7割を占めるとっても重要なものであり、なおかつこれは彼の体の1部分です。海(水)が循環していると言う事と、必要不可欠の物という意味で、人間で言うと血液の様なものではないでしょうか?

 

では、海が出来たプロセスを見て見ましょう。地球は今から約50億年前に誕生。46億年前に地殻が形成され、微惑星の絶え間ない衝突からガスが発生。これが最初の大気の始まりになったということです。地球もかなり痛かったことでしょう!そして、大気はどんどん濃くなり、温室効果によって温度が上昇。数百気圧の大気に覆われる。この大気という皮膚が、紫外線など日焼けに大敵なものをシャットダウン!非常に大切な役割を果たしたみたいです。人間も紫外線対策重要ですし、その辺は共通していますね。そして、次第に地球が冷えて固まりだすと、蒸発していた水蒸気が雨になり、酸性度の強い海が出来たらしいです。(海の水が出来るぐらいの雨なので、果てしなく降り続いたと思います)。そのあと海は、岩石との反応で中和していき、大気の二酸化炭素が海に溶け込み、そして、炭酸カルシウム(石灰)となって、海底に沈んでいった。この様な事から現在の弱アルカリ性の海に変わっていったということですが、この海が出来るまでは10億年かかっているみたいです。なんとも、人間時計で測るのはかなり辛いお話です。

 

地球と海の関係は、星があるから水が出来たというものではなく、これ以上太陽に近づけば暑すぎ。離れれば今度は寒すぎ。と言う様に、地球の水はかなり偶然の産物みたいです。そして、この水から変化して出来てきたものが、私達生物の様です。こんなことが考えられるのも、現代に生きている特権です。有りがたい事です。水(海)と言うものの偉大さは、断水でもしない限り、普段の消費生活ではあまり関心を寄せられません(タイはよく断水になります!関係ないですけど停電もです)。私達は必ず水は必要ですが、地球にとっても、今の太陽との位置関係に住む為には必然のものだったのでしょう。私達は母なる海と父なる大地に住み。母なる海と父なる大地は、地球に住んでいます。この地球は太陽との微妙な位置関係でこの父と母を支えています。太陽も太陽系では中心ですが、銀河系では埃みたいなもです。銀河系は宇宙の中に数えられないぐらい存在しているらしいですが、水を持っている星は身近にはほとんど無いといいます。もし将来、宇宙旅行が出来たとしても、水のある惑星に行き、ダイビングが出来るかどうかは非常に怪しいのではないでしょうか?

 

この地球の持っている、多様な生物の住む海はかなり貴重だと思います。そして、色々な生物の為にも、山の為にも、そして地球自信の為にも、海が物凄い速さで変化しない様に祈るばかりです。なぜなら、僕はもう居ないと思いますが、私達が適応出来なくなる様な気がするからです。地球からすると、私達は生物の中で、果たして必要でしょうか?こればかりは聞いてみないと分りませんが、おそらく、今のところ9割以上必要にされていないと思います。なぜなら、地球時間だと人類の歴史は、1年のうちのまだほんの数分しか経っていない世界みたいです。人間同士でも、まだ出会ったばかりの人に必要だと言われる事はまれだと思います。特に地球の場合はこちらに直接話してくれませんし。

 

私達は今のところ地球が無いと生きて行けませんが、地球は今のところ人間がいなくても生きていけそうです。なおかつ、私達が地球時間の変化に気付く事は、学者さんなどでない限り、非常に難しい事だと思います。海の変化も同様です。所詮分り合うのは無理なのかもしれません。しかし私達はこれからも、この地球を知ろうとする努力を欠かしてはいけないと思います。他の章でも書いたように、同じ様に、知らなくても良い事も必ずあると思います。

 

結局海とは何だろう?


僕が初めて海に行ったのは僕の記憶には無い時で、それほど小さかったからです。少し記憶があるのが、浮き輪がお尻に挟まり、そのままひっくり返って溺れそうになったと言うのを今でも思い出します。はっきり言って最悪でした。少し大きくなると、夏は海!というイメージが強くなり、毎夏何処かの海に行っていた様な気がします。しかしダイビングはまだまだ後です。一時期ジェットスキーで海を使ったり、波乗りで海を使ったり、夏でなくても触れる機会が多くなりました。海の近くが良くて、思わず茅ヶ崎に引っ越してしまった事もあります。

 

そして忘れもしないオーストラリアの海。今でもとても大事な思い出です。きっと一生涯忘れる事はないでしょう。この時にダイビングに出会いましたが、潜りこむほどでは有りませんでした。その後ダイビングではないですが、バリ、ロンボク、ジャカルタシンガポール、マレーシアなどの海を見て回り、その後タイの海でダイビングの仕事をするようになってもう10年以上経ちました。最近では、モルジブインドネシア、そして神津島などの海が、タイランド以外でのダイビングです。

 

今でもこの家から海が見えます。海に浸からない事が多いと、なんだか体の調子が悪くなります。近くの漁村では、海からの新鮮な恵みがわんさか売っています。それを炭火焼でガッツリ頂く! 最高です。クルーズ船などに乗っての海はまた格別です。朝起きても海。ご飯を食べていても海。寝るのももちろん海の上。海にいつも囲まれていると、体のバランスが整っていくようです。とにかく今の僕には海の存在は欠かせないものです。

 

2004年12月26日に津波がインド洋沿岸を襲いましたが、常日頃から思っていることがあります。自然のすばらしさは書くときりがありません。しかし、私達は自然から、素晴らしいものばかり貰っているわけでは無いと言う事です。きっと皆さんも良くご存知の事だと思います。 結局海自体、もしくは自然自体にスケジュール的変更は無くて、そこに接している人の気持ちで、海や自然の評価は変わる物なのかもしれません。

 

僕にとって海とは、ライフスタイルを作るのに欠かせないものであり、なおかつ、常に自分の常識を超えた絶対的なものの存在を感じる事で、人間の中のルール、人間と自然のルール、自然と地球のルール、地球と宇宙のルール。と言う物を感じることの出来る、偉大な教材であります。まだまだ習いたい事は山ほどあります。その為にも、まだまだ、海や自然に対しての考え方や付き合い方を勉強する必要があります。 間違いなく、僕にとって自然や海は、一生かかっても分らない事だらけなのは、分かっています。

 

海は人間のことをずっと見ています。海は人間の理解を待っているのではないでしょうか? 僕もまだまだこれから、自分の海を捜し続けたいと思います。 人間がいなくても海は残ると思います。しかし海がなければ、もしくは変われば、人間がこの地球に生き残ることは難しくなるのではないでしょうか?

 

最後になりますが、色々な想像と夢と恵みを与えてくれる自然に(勿論海も含め)、自分をこの世界に存在させてくれた両親に、そして今まで自分を支えてくれた知人達に、心より感謝をしております。

 

さて話を地球のレベルに戻します。惑星自体はたくさん有ります。しかしそこに水が有る確率は低いと言いましたが、地球にとって水(海)は、今の快適さを守る為には(これは人間の考えですかね?)、いつまでも有って欲しい物であり、(そのうち無くなると思います。)守るべき物でも有ることでしょう。

 

そんな水(海)と地球の関係は、人間世界にも存在してそうですね。 海や陸に生きている様々な生物達、もちろん海も森も川も山自体も含め、この地球にある自然から何を受け取るかは全て自分次第です。普段は気にしませんが、大海原を見ていると、地球が丸いことに改めて気付きます。たまには自然の時間にゆられてみながら、海をボ~と見て地球を実感してみましょう!