海はねてまて(果報は寝て待て、海も寝て待て)

ご訪問ありがとうございます。このブログは、2006年から2016年まで、プーケットでダイブクルーズ専門ガイドの会社として活動していた「seaforest」の海ブログです。タイ各地、ミャンマー、アンダマン諸島、ラジャンパットなどのダイブクルーズの写真やビデオ、海の雑学などを掲載しております。(ブログを移転した為、本当の掲載日はタイトルの日付が正しいです)

アンダマン諸島クルーズ・・・①(概要&ポートブレア)2010年03月18日~04月22日

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行って来ましたー!1ヶ月(4回のクルーズ)のロングクルーズ、インド領アンダマン諸島でのダイブクルーズです。船でプーケットを出発してから約2日間、やっとこさっとこアンダマン諸島の首都ポートブレアに到着致しました。アンダマン諸島クルーズのブログはとても長くなりそうですので、6回に分けてお届けすることに致します。

 

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まずは、アンダマン諸島についてです。日本とも関わりのある場所ですので、予備知識があるとよりいっそう楽しめるのではないかと思います。以下は、ウィキペディアより引用させて頂きました。


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アンダマン・ニコバル諸島は、インド洋のベンガル湾南部に位置するインドの連邦直轄地域である。北緯10度線の北側がアンダマン諸島、南側がニコバル諸島である。アンダマン・ニコバル諸島の主都はポートブレアである。また、インド政府が国防上の理由により、外国人の立ち入りを制限している。理由としては、マラッカ海峡への航路を扼する位置にあり、防衛戦略上の要地となっているためである。また、原住民の保護政策の一環の意味合いもある。 


面積・・・・・8293平方キロ


人口・・・・・277,989人


主都・・・・・ポートブレア


識字率・・・・73.74%


主要言語・・・各部族の母語ヒンディー語タミル語及びベンガル語


語源・・・アンダマン (Andaman) という名前は、マレー語でヒンドゥー教ハヌマーン神を意味するHandumanに由来する。 また、ニコバル(Nicobar) は、マレー語で裸の人々の土地という意味である。その名の通り、小アンダマン島大ニコバル島には合わせて5部族の先住民がおり、計800人ほどが石器時代と同様の狩猟採集生活を行っている。


歴史・・・アンダマン・ニコバル諸島は、18世紀にマラータ同盟によって占領された後、イギリスによって支配された。イギリスはここを流刑地としており、インド及び周辺国で反イギリス的な活動を行った政治犯などを送り込んでいた。このような刑罰はヒンディー語で黒い水を意味するカーラーパーニー (Kalapani) と呼ばれた。ポートブレアの独房監獄は英領インドの「シベリア」と見なされていた。


原住民たちはイギリスの統治のなかでも狩猟生活などにより自給自足の生活を営んでいた。それに対し、イギリスが送り込んだ流刑民及びその子孫は土木工事や木材生産に従事し、代償として配給される食糧等の物資を頼りに生活を送っていた。これは従属性をコントロールする意図もあったと考えられ、農業はココナツの栽培など粗放的な限られたもので、米や麦などの主要穀物が生産されることは無かった。


第二次世界大戦に入ると日本軍がポートブレアに上陸(1942年3月23日)。日本はアンダマン・ニコバル諸島をスバス・チャンドラ・ボースによる自由インド仮政府の統治下に置いた。ボースは大戦中にアンダマン・ニコバル諸島を訪れ、アンダマンを殉教者を意味するシャヒード (Shaheed) に、そしてニコバルを自治を意味するスワラージ (Swaraj) に改名した。インド国民軍のロガナサン中佐がアンダマン・ニコバル諸島を統治した。一方、イギリスは東南アジア方面への反攻への足がかりとするため諸島の奪還を企画、海上封鎖を行い物資の補給を途絶させた。農業生産が行われていない島内では餓死者を出す事態となり、戦後、数十名の日本軍関係者が責任を負わされ、BC級戦犯としてシンガポールにて処刑されている。


アンダマン・ニコバル諸島は、1947年のインドの独立によりインド領となった。


2004年12月26日、アンダマン・ニコバル諸島沿岸は約千年周期とされているスマトラ島沖地震による高さ10mに達する津波によって、壊滅的な打撃を受けた。控えめな見積もりでも、この災害でアンダマン・ニコバル諸島では少なくとも7,000人が死亡したとしている。
以上、ウィキペディアより


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津波の時にこんなニュースがあったらしいです。


インドの沿岸警備隊のヘリコプターが食料と救援物資を投下するために、センティネル島上空を低空飛行していたところ、ジャングルに潜んでいる島民からヘリに向かって次々と弓矢が放たれたそうです。文明から隔離されている島民たちは、ヘリコプター自体を見たことがなく、先日の津波に引き続いて島を襲おうとした悪魔の使者か何かだと思い込んだのかもしれない。


沿岸警備隊たちの命が危険にさらされたわけではあるが、ともあれインド当局はこの出来事を明るいニュースととらえている。ヘリを矢で撃ち落とそうとするくらいなら、心配されたほどの被害を受けていないと判断できるからである。絶望的なまでのコミュニケーションの欠如を物語る出来事が明るい知らせになった。


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この様な感じのアンダマン諸島なのですが、第2次世界大戦中に、日本軍がこんな遠い場所まで来ていたという事実に驚きました。ではでは、秘境アンダマン諸島の首都、ポートブレアに入港でーす!(けっこう大きな船がいるんですよ。軍艦なども。。。)

 

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ふと、海面を見ると何やら魚らしきものがプカプカ〜。
なんとー!サラサハタです。それもまだちょっと生きている!すかさずボートクルーがキャッチしてそのままキッチンへ行ってしまいました。タイの市場でもほとんど見かけない高級魚です。もちろん夜食に出たわけなのですが、ものすご〜く美味しかったです。上品な白身です。ウェルカムドリンクでなく、ウェルカムフィッシュ?

 

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では、インド上陸初の一歩です!

 

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ちょっと市内観光です。こんな可愛いタクシーで移動。

 

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上記の説明にあった、ポートブレアの独房監獄。ここは1942〜45年、大日本帝国軍の支配下になっていたみたいです。正確には、スバス・チャンドラ・ボース大日本帝国軍庇護下で、シンガポールに建てた自由インド政府の支配下に置いたということみたいです。

 

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首都のポートブレアは、もちろん原住民などは住んでおらず、インドの人達で混雑してました。沢山のお店が立ち並び、活気のある賑やかな町です。でも、僕は暑さでバテバテです。

 

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サモサを購入。さすが本場、めちゃウマです!

 

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ナン&カレーも、かなり美味しいです。豆のカレーが特に美味しかった。

 

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新聞紙製の手さげ袋。再利用ですね〜。素晴らしいです♪

 

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夜の港は哀愁漂う感じですね〜。

 

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僕の初インド上陸はなんと!この1日でおしまいです。やはりメインはダイビングですからね。次回のブログからはダイビング編をお届け致します。内容は次の通りです。②ハブロック&ジョニーズゴージ、③パッセージ島周辺、④ナコンダム島、⑤バレン島、⑥サウスボタン島周辺。

 

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お楽しみに♪


つづく

 


seaforest - HIRO & CHICO